2011年04月25日
GW準備
今年もゴールデンウィークが近づいてきました。
私の休みは1~5日の5連休。
行程をどうするかここ2,3日悩みましたがようやく固まりつつあります。
事前準備で買い物に行ったり忙しくも楽しみでしょうがない5日の休暇になりそうです。
私の休みは1~5日の5連休。
行程をどうするかここ2,3日悩みましたがようやく固まりつつあります。
事前準備で買い物に行ったり忙しくも楽しみでしょうがない5日の休暇になりそうです。
2011年04月14日
連続テレビ小説「おひさま」
先週から放送が始まったNHKの連続テレビ小説「おひさま」。
人生において初めてこの手の番組を見る気構えでいます。
主演の女優なんてどうでもいいけれど、長野県、それも私の憧れの松本や安曇野が舞台とあっては録画してでも観たいものです。
先週は主人公の幼い頃をとり上げる章でしたが、序盤から涙が出るこの構成はどうなのでしょうか。
今やすっかり「パブロフの犬」化して始まりの音楽が流れるだけでも・・・。
桜が散る頃に小学生が軽装で常念岳に登るという矛盾した展開はさておき、 よく目にする信州の景色があちこち登場するのも見所でしょう。 「信濃の国」を唄っている光景や、奈良井の町並みロケ、国宝松本城、広がる安曇野の風景。ことごとくツボをついてきます。

もうひとつ。
「男はつらいよ」で寅さんのマドンナ役を演じていた若尾文子氏や樋口可南子氏も登場し、これまた時代の流れを感じるところです。
仕事の関係で、タイマーで録画セットをして帰宅後数日分まとめて観ることになりますが、約半年間楽しみができたわけです。
人生において初めてこの手の番組を見る気構えでいます。
主演の女優なんてどうでもいいけれど、長野県、それも私の憧れの松本や安曇野が舞台とあっては録画してでも観たいものです。
先週は主人公の幼い頃をとり上げる章でしたが、序盤から涙が出るこの構成はどうなのでしょうか。
今やすっかり「パブロフの犬」化して始まりの音楽が流れるだけでも・・・。
桜が散る頃に小学生が軽装で常念岳に登るという矛盾した展開はさておき、 よく目にする信州の景色があちこち登場するのも見所でしょう。 「信濃の国」を唄っている光景や、奈良井の町並みロケ、国宝松本城、広がる安曇野の風景。ことごとくツボをついてきます。

もうひとつ。
「男はつらいよ」で寅さんのマドンナ役を演じていた若尾文子氏や樋口可南子氏も登場し、これまた時代の流れを感じるところです。
仕事の関係で、タイマーで録画セットをして帰宅後数日分まとめて観ることになりますが、約半年間楽しみができたわけです。
タグ :信州
2011年04月10日
概念と尺度
時を自分でつかむことは不可能なことである。昨日という時を操作したくてもどうにもなるわけではないし、明日という時をつかむこともできない。
ただ時の方がやって来るのを待つだけで、時に対して我々は無作為である。
そもそも時という観念が人が作ったものであり、それが流れるように思えるのも人ならではのことだ。
大きさが目で見えるわけでなくある尺度により認識するだけである。
同じように心というものも到底目に見える存在ではない。あるCMで「心は見えないが心遣いは見える」というのがあったが、心はもちろん、思いを広げることの大きさ、広さ、深さは果てしなく、尺度があるわけではない。悩みの数は数えられても、一つ一つの深度は尺度があるわけでもないし、追いかけられるものでもつかめるものでもない。
思うことのそれぞれが宇宙という得体の知れない存在なのだろうか。
考え始めるとそれこそとどまることを知らないわけだが、せめてそのようなことを考えなければ、また書きつづられねば今私がもう一つの見えない存在「時」というものを待つことはできないのだ。
ただ時の方がやって来るのを待つだけで、時に対して我々は無作為である。
そもそも時という観念が人が作ったものであり、それが流れるように思えるのも人ならではのことだ。
大きさが目で見えるわけでなくある尺度により認識するだけである。
同じように心というものも到底目に見える存在ではない。あるCMで「心は見えないが心遣いは見える」というのがあったが、心はもちろん、思いを広げることの大きさ、広さ、深さは果てしなく、尺度があるわけではない。悩みの数は数えられても、一つ一つの深度は尺度があるわけでもないし、追いかけられるものでもつかめるものでもない。
思うことのそれぞれが宇宙という得体の知れない存在なのだろうか。
考え始めるとそれこそとどまることを知らないわけだが、せめてそのようなことを考えなければ、また書きつづられねば今私がもう一つの見えない存在「時」というものを待つことはできないのだ。
